経営者に対する一般的なイメージとしては、「成功者」「お金持ち」「公私ともに交友関係が幅広い」など、華やかなものが挙げられるのではないでしょうか。
いくつもの苦難を乗り越えながらひとつの組織を牽引し、従業員よりも高い報酬を受け取り、取引先の役員との会合や経営者仲間などとコミュニティを形成して充実した日々を過ごすなど、多くの経営者が一般的なイメージ通りの姿であることは間違いではないといえます。
しかしどれだけ華やかな世界に身を置き、充実した毎日を過ごしていようとも、経営者にはひとつの悩みが常につきまとっているものです。
それが「孤独」です。
経営者でない人が見れば、「どこに孤独を感じているのか分からない」という意見を持つのは当然でしょう。中には、「孤独を感じている暇があるなら、少しくらい業務を手伝ってくれ」などと憤る従業員もいるかもしれません。
けれども、多くの経営者は周りからは理解されない「経営者ならではの孤独」にさいなまれ、それに向き合い闘うことを続けながら会社の経営を続けています。
では、経営者はなぜ「孤独」に陥るのでしょうか。また「孤独」に押しつぶされないためには、どのように考え動くべきだといえるのでしょうか。
目次
経営者の仕事とは?
経営者が抱く「孤独」に触れる前に、まずは経営者の仕事について考えてみましょう。
もちろん業種や企業規模に応じて様々であるため、一概に断言することはできませんが、経営者が受け持つ仕事は「意思決定」と「決定の責任を負うこと」だといえます。
いわゆる「一人親方体制」や従業員数が少ないなど、規模の小さい企業においては、経営者自らが営業の最前線に立ってモノやサービスの取引交渉を行ったり、現場で作業を率先するといったケースもみられますが、多くの企業ではそれらを遂行するのは従業員たちです。
一方で、経営者は経営や事業の目的と目標に沿って従業員を雇い、お金を集めて使途計画を練り上げ、従業員に指示を出して業務を遂行させる。
それら経営の存続に関わるような重要なものから日常の瑣末なものまで、会社に関するあらゆる事柄に対して意思決定を行い最終的な決断を下すこと、そして下した決断に対する全責任を負うことが経営者に与えられた仕事であり、使命であるといえます。
仮に決断に誤りがあり、経営に大きな打撃を受けるようなことになれば、会社は存亡の危機に瀕する可能性も生じ、さらには従業員の生活にまで影響が波及することにもなりかねません。
また、従業員に決定を委ねるケースがあり、それがたとえ不利益をもたらしたとしても、その決定に対する最終的な責任を経営者が負うべきことは言うまでもないでしょう。
経営者の仕事とは、そのような「決定」と「責任」の連続がもたらす強大なプレッシャーの中で、日常的に多大なエネルギーを消耗させる、ある種の「過酷な労働」であるといえるのかもしれません。
経営者が「孤独」を感じる理由
では、どうして経営者は「孤独」に陥るのでしょうか。
その答えは、上述の「経営者の仕事内容」が要因になると考えられます。
経営者という立場上、容易に悩みを打ち明けられない
経営者の仕事は「意思決定」と「決定の責任を負うこと」の連続です。
もしも「決定」と「責任」に対して不安や悩みを抱え、それらに曖昧で弱気な態度で対応するようなことがあれば、すぐに従業員や取引先などから見透かされ、経営者としての人望を失いかねないものです。
したがって、多くの経営者は迷いなく常に毅然とした態度で周りと接することを心がけており、当然ながらネガティブな相談を進んで行うことを控えようとする傾向がみられます。
しかし、多くの人が経験してきていることかと思いますが、たとえ明確な答えが出なくても、他者への相談という行為によって、自身の不安や悩みは整理されるものです。
不安や悩みが整理されれば、気持ちは落ち着いて、それらを冷静かつ客観的に捉えられるようになり、それまでは見出せなかった解決策がみえてくることもあります。
ところが、上述の理由から経営者はひとりで不安や悩みを抱えこみがちであり、そうした相談をする相手は一人もいないというケースが多々みられます。
売り上げにかかわる従業員や取引先に対してはもちろん、直接的な取引のない経営者仲間に対しても、悩みを打ち明けるようなことはほとんどないでしょう。
これはたとえ「仲間」として接していても、結局のところは経営者仲間も「競争者」であり、「競争者」である以上、悩みを打ち明けることは「負け」に等しいと考える経営者も少なくないからです。
経営者としての立場と仕事を全うするため、そして自身のプライドを固持するために、本音を打ち明けられない環境と心理状態が重なることが、経営者が「孤独」を感じるひとつの理由だといえるのではないでしょうか。
目的の不一致が生じさせる従業員との距離感
経営者が「孤独」を感じるもうひとつの理由として考えられるのは、目的の不一致が生じさせる従業員との距離感ではないでしょうか。
経営者と従業員は同じ組織に所属していても、仕事内容も違えば目的も違います。
経営者の仕事内容とその目的は、「意思決定」と「責任」を繰り返して会社と従業員を守ることにありますが、従業員は基本的に「業務の遂行」が仕事です。
したがって従業員は、表向きには会社が掲げる目標や目的に向けて業務を遂行するものの、潜在的な目的は、自身の生活の維持や向上とキャリアップに向けて、それらに付き従っているだけに過ぎないともいえるのです。
中には、会社に全身全霊を捧げて「社長とともに心中する覚悟で業務に邁進する」という強い覚悟をもった従業員もいるかもしれませんが、彼らが経営者のような最終的な「意思決定」と「責任」を負うことはあまり考えられません。
このような仕事における目的の不一致が、時に経営者と従業員の間の距離を広げることになり、結果として“独り身”である経営者の「孤独」につながるともいえるわけです。
「孤独」に押しつぶされないための秘訣
以上のような理由がもたらす経営者の「孤独」。
誰にも不安や悩みを打ち明けることなく「孤独」の中で答えを見出し、結果として大きな成功をおさめている経営者もたくさん存在しますし、「孤独」に陥ることが間違いや苦悩につながるとは言い切るつもりは毛頭ありません。
しかし、周りに「本音」を打ち明けることもなく、従業員との距離が生じたままでは、経営者人生において少々潤いにかけると感じませんか。
また、あまりにも「孤独」を感じる期間や頻度が増えることで、いつの日か「孤独」に押しつぶされて精神的な苦痛に変わる可能性が生じることも否めません。
では、少しでも「孤独」を和らげ、押しつぶされないようにするためには、どのように考えて行動するべきなのでしょうか。
経営者としてではなく、一人の人間として周りと接する
その答えはたったひとつ、「常に経営者としてではなく、時には一人の人間として周りと接すること」にあるとはいえないでしょうか。
とある地方の中小企業では、週に一度、社長や役員を含めた全社員が参加可能なランチ会を開催しているといいます。
もちろん強制ではなく、参加は自己判断。社長自らが発案したこの会では、開催当初こそ「昼休憩くらいゆっくりと過ごしたい」や「社長とランチなんて気が引ける」といった理由から参加者は少なかったそうですが、次第に人数が増えていき、開催から2年経った今では毎回ほぼすべての従業員が参加しているそうです。
この場で話す内容は、「最近観た映画や読んだ漫画のこと」「これから行きたい旅行先」など、経営や業務とはまったく関係のない話題が多いようで、社長も経営者としてではなく、「一人の人間」として従業員と接しているのです。
それまでは、社長自身が従業員との間に広がる距離に悩み、社内ではいつも「孤独感」に苛まれていたといいますが、こうした試みによって、従業員との距離を縮めることに成功。結果として会社の目標や目的に対する意識共有も促進され、業績の向上にもつながったといいます。
このように、なにも経営者は常に経営者として毅然とした態度で従業員と接し続ける必要はなく、時には一人の人間同士として触れ合い会話を重ねるだけでも、「孤独」は緩和されるものです。
また大きな悩みや不安を誰かに打ち明けたいのであれば、従業員や取引先に対しては難しくても、プライドをかなぐり捨てた上で一人の人間同士として経営者仲間に話してみるのはどうでしょうか。
もしも「本音」を打ち明けたところで、相手の経営者仲間が嘲笑したり見下してきたり、他の経営者に吹聴したりするようなことがあれば、もはやその人物は「仲間」とはいえず、今後の経営者人生においても重要な存在ではないと断言できるでしょう。
まとめ
経営者は仕事内容や目的、そして立場からも「経営者ならではの孤独」を感じやすいものであり、そのような「孤独」が大きな精神的ストレスに変わることも否めません。
ですが、「孤独」からの解放策はいたってシンプルなもの。
それは、時々でも経営者としての鎧を脱ぎ、従業員とも取引先とも経営者仲間とも、一人の人間同士として接する機会を設け、「他愛のない会話」や「本音」を打ち明けたりするだけです。
そのようなシンプルな試みを繰り返すだけでも、相手との距離は次第に縮まり、「孤独」からの脱却にもつながるのではいでしょうか。
会社の存続と従業員の生活を守るという重大な使命を負わざるをえない経営者の皆さんですが、経営者である前に「一人の人間」であることを今一度思い出して、「孤独」からは無縁の心身ともに充実した日々を過ごしてほしいものです。